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2009年7月13日 (月)

マイケル・ジャクソンについて色々思う事2

私はあまり勉強をしなかったので、歴史的事実とされる事はよく知らないのだが、マイケルが生きたのは、どんな時代だったのだろう?ジャクソン5がデビューした頃はまだ、公民権運動やらキング牧師が暗殺されてから間もない頃。どんな差別や偏見があったか解らないが、かなりヘビーな事だったのは想像出来る。
ジャクソン5はその時代、多くのヒット曲を持つ単なるファミリーバンドではなく、演説や政治的な活動ではなく、エンターテインメントの力で、人の心や時代のムードを変える事が出来た特別なバンドだったのだろう。そこでマイケルは少年期を過ごした事になる訳だ。

マイケルはジャクソンズになった頃から大人の声になってしまう。周りは子供の声だから商売になったと考える人がいただろうし、TVショウでジャネットがオプションで付いてきたりすると、ジャクソンズは子供のメンバーありきだったのかな?と思ったりする。伸びやかで美しく張りがあり、どこか哀愁のある声という楽器と、まだ体験した事のない恋の歌を歌う説得力を無くしてしまった事をマイケルはどう感じたのかな?均整の取れたバネのある体に成長した青年マイケルはオフザウォールって凄いアルバムを発表する。

その後、とてつもなく素晴らしいアルバムを作り続け、超人的なパフォーマンスを繰り広げ、賞賛と尊敬に値する事を知らない人はいないと思うのだが・・・・・残念な事にそうでもなかったりする。

追悼番組で裁判やら奇行の事を放送するのはいかがなものか?と思う。どうせなら「マイケルさんは亡くなった時にはズラをかぶっていました。私もズラなんでマイケルさんの気持ちは解ります。」と言ってズラを外すサービス位して欲しかったと思うのは私だけでしょうか?

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2009年7月 1日 (水)

マイケル・ジャクソンについて色々思う事

マイケルジャクソンの存在を知ったのは小学5年か6年の時になる。当時、私はアメリカの人気テレビ番組パートリッジファミリーやオズモンドブラザースの世界感に憧れていた。1970年代のアメリカTVドラマは、ベトナム戦争、米ソ冷戦など多くの問題を抱えていたせいか「アメリカは自由で素晴らしく、人々は幸せに生きている」的なプロパガンダの為に作られていたような気がする。家族とバンドをやりたいとは思わなかったが、あんなドラマの中の家庭に生まれたかったと心の底から思っていた。

日本で家族のバンドなんてあり得ない!と思っていた時に登場したのがフィンガー5で、まあとにかく格好良かった。しかもボーカルの晃が同い年なのには驚き「もう床屋に行って刈り上げるのは嫌だ!」と真剣に思った。当時カラオケなどなくレコードに合わせて大声で個人授業を歌ってみたら変声期前だったので結構歌えて「私にも出来るのでは?」なんて思ったりしたが、フィンガー5がレコード大賞かなんかの賞を取った時に、徳倉俊一が「晃くんの天才的な声を聞いた時にマイケルジャクソンだと思った」的なコメントをしていて「あ〜やっぱり晃は天才で特別な人間なんだ〜」と思ったと同時にマイケルジャクソンに興味を持ち始めた。

よくラジオを聞いていたのでジャクソン5の存在は知っていたが、私の認識ではパートリッジファミリーやオズモンドブラザースやカーペンターズやらビージーズ、モンキーズ、ビーチボーイズも愛と平和の歌を歌う同じようなバンドだった。
1〜2年で私の興味の対象が「いかにもロック」的な物に変わっていき、このてのバンドは聞かなくなっていくのだが、ジャクソン5はディープパープルよりベースの音が大きくコピーしやすいという理由だけで聞き続けた。この頃初めて動くマイケルジャクソンをNHKで見た。「ベンのテーマ」だったと思う。

同じ頃、リバイバルで「小さな恋のメロディ」を観て感動したのだが、その時すでに、純粋で可愛らしいはずのトレーシーハイドが成長してエクソシストのリンダブレアーとあまり変わらない事に愕然とし、フィンガー5の晃も声変わりして、高音部分は兄の正男がファルセットで歌っていた。大人になることは残酷で厳しいものだと感じた。

マイケルジャクソンと関係ない話はまだまだ続く

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